「私はこう戦った」の日記

子どもと外国人妻が心の支え!不当解雇を訴え復職するまでの道のり

トラウマの観察、からのチェ・ゲバラ

突如解雇をされて3週間がたつ。胸は重く苦しく、頭の中は常に解雇のことでいっぱいだ。

 

昨日、少し活動できる気力が出てきたのでヨガ・スタジオへ。「今ここ」に集中することで少しでも鬱蒼とした気分から抜け出したかった。

 

休憩中、私がサイコロジストであることを知る姉さんヨギーニが、「これってトラウマかしら」と言う。

 

姉さんによると、道で交通事故を見ると涙が止まらない。テレビでさえ交通事故のニュースだと涙が出る。「別に同情している訳ではないのに、これってトラウマかしら?」

 

愕然 – ダ鳥獣戯画 (chojugiga.com)

 

私は姉さんの過去の出来事や記憶と交通事故が連関してるのかな、なーんて思いつつ、深入りはしなかった。

 

でも教科書通りの説明はして差し上げた。「過去の時間が止まっているのがトラウマというようですよ」「過去の出来事にもかかわらず、まるで今感じているかのような情動がよみがえる出来事をトラウマというんです」。

 

この会話は姉さんの「ふーん」という答えで終った。

 

帰り道、電車の中で胸のつかえが少し軽くなったのを感じながら、やはり延々と解雇のことを考えている自分に気づいた。

 

「3週間前とはいえ、解雇は『過去のこと』ではないか?これではトラウマではないか」

 

「仕事に縛られずに身軽な人生を手に入れたと考えられないか?」

 

「なぜ未来のことを考えない?」

 

・・・こうは思ったけど、いや、思い込もうとしたけど、解雇のことを考えるのは止められない。今回の件で、自分が思っていた以上に職業アイデンティティが深く刻み込まれていたのに気づいた。

 

駅で合流した妻とスーパーに寄った。レジで精算を待っている間、解雇のことを考えていたのを妻に指摘される始末だ。

 

急に真顔で考え込んだ表情になるらしい。

 

しかし、考えないようにするのはどだい無理。こうなったらとことん飽きるまで解雇のことを考えてやろうと思う。

 

喪の作業(モーニング・ワークス)は避けるものではなく、対象喪失を受入れるのに大切なステップだ。

 

「無感覚、抑うつ」の次のステージは「怒り」だ。

 

そう、今、怒りがふつふつと沸いてきている。

 

このエネルギーを労働組合の活動に昇華させよう。

 

昨晩チェ・ゲバラの映画を見て心を奮い立たせた。コタツに入っていても心はプチ革命家だ(笑)。