「私はこう戦った」の日記

子どもと外国人妻が心の支え!不当解雇を訴え復職するまでの道のり

失業保険で悠々自適?

福沢諭吉『心訓』

・世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。
・世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。
・世の中で一番寂しいことは、する仕事のないことです。
・世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむことです。
・世の中で一番偉いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。
・世の中で一番美しいことは、総てのものに愛情を持つことです。
・世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです。

 

解雇されてから約半年が経つ。これまで「無職」、無収入だ。

 

私がまだ18歳の頃、壁に掛けていた福沢諭吉の心訓の額縁をよく思い出す。

 

「世の中で一番寂しいことは、する仕事のないことです」。

 

ズシン。。

 

だったら仕事をすればいいじゃん?

 

否。不当解雇を主張し、目標はあくまでも復職なので、新たな仕事を探せばいいという単純な話ではないのだ。

 

新たな仕事をすること自体は不当解雇を争う上で問題にならないらしい。しかし復職する上では障壁になるという。なぜか。

 

裁判官は「新しい仕事に慣れたんだし、経済的にも安定してるんだったら戻る必要ないんじゃ?」「解雇は撤回させるから、任意退職にしなよ」、「信頼関係の修復は大変だしお金で解決したら?」と考える傾向があるようだ。

 

相談している弁護士さんには解雇の撤回は間違いなく勝ち取れるが、復職は別の話と言われている。

 

だからこれまで仕事探し、仕事選びは慎重にしてきた。

 

これぞという仕事がなかったわけではない。でも現実は甘くない。

 

そもそも、履歴書に「解雇」と書かれている者を誰が雇ってくれるというのだ?「退職」と遠回しに書いたとて、理由を訊かれれば同じことだ。虚偽の申告をするわけにはいかない。

 

正直に言うとこうなる。

 

「幹部職員のパワハラを正式な手続きで調査をするよう求めたら5日後に即日解雇されました」。

 

新たな雇い主にこの真偽はわからない。ならば好んでリスクを抱える会社はないだろう。

 

では、失業保険を受取ればいいじゃん?私の場合だと、大体9000円弱/1日を最大6ヶ月受取ることができるようだ。

 

しかし実際は簡単ではなかった。

 

失業保険を受取ることは、すなわち退職・解雇を認めたという理屈で会社は責めてくるらしい。

 

 

そのために「失業保険の仮給付」という制度がある。

 

「不当解雇を争っているので失業というわけじゃないけど、その間生活に困るだろうから仮に給付するよ」「もし復職したら返してね」というもの。

 

ありがたい制度と思いきや、ハローワーク(失業保険の受給資格を認定をする)によって解釈がいろいろあるようで、私が世話になる管轄区のハローワークでは、裁判所から不当解雇の訴訟を申立てたという文書を発行してもらわないとならない。

 

失業給付金ほしさのために訴訟開始を急ぐわけにもいかず、訴訟の準備のため今まで時間がかかってしまった。

 

経済的に先細っていく日々。不安がないと言ったら嘘になる。

 

でも娘は「仕事をしていないパパの方が好き」、半ば冗談で「ずっと仕事しない方がいいよ」と言ってくれる。

 

仕事をしていた時はイライラしていたのかな。反省。

 

家族の尊さが身にしみる・・・。

道義を持って生きること inspired by 『ラーゲリより愛を込めて』【その弐】

私は昔から直球しか投げない。

 

私には取り柄がないので、とにかく真面目に生きなければと考え、真面目に生き、真面目に仕事に取り組んできたつもりだ。そうするうちに、いつしか直球しか投げられなくなったと言った方が正しい。

 

今回私がしたことは、正々堂々と、ルールに則った投げ方で、ミットのど真ん中に直球を投げたのだと思っている。

 

だが結果は「ボール」、ですらなく「一発退場」となった。

 

信じていた審判は公平ではなかった。ベンチの仲間はざわついたけども、声を上げると彼らも退場させられてしまう恐怖から何も言えなかった。

 

パワハラ防止法。これでみんなが働きやすくなればよいなと思った。

 

パワハラ防止法は令和4年4月から中小企業にも義務化がされた。それに先駆け私の会社でもハラスメント防止規程ができ、主に私の発案で、パワハラ・アンケートを全職員を対象に行った。

 

私は部長として回答内容(匿名)を確認できる立場にいたため、回答の中身を知ることができた。

 

経営陣を名指ししてパワハラを受けたという回答、まじめにアンケートに答えると仕事が続けられなくなるかもしれないので答えない、という回答などがあった。職員たちが経営陣に抱く恐怖と改善への諦めが伝わる内容だった。

 

私は経営陣から比較的近い立場にいたが、会社を良くするためと思い経営陣に進言した。

 

「私自身を含め、経営陣や経営陣に近い立場の者はパワハラリスクがあるので気をつけましょう」

 

この日から私は排除の対象としてロックオンされた。

 

何かにつけ揚げ足取りをされてしまう。例えば、私の部下への注意や指導がパワハラではないかと拡大解釈されることになった。その部下が私の注意や指導を問題にしていないにも関わらず。

 

 

経営陣からのそのような責めから逃れるのは至難の業だった。大体ダブルバインドの罠が巧妙に仕掛けられていた。例えば部下を注意するように仕向けられ、注意をすれば「パワハラ」だと言われ、注意をせず慎重な対応をすれば「部長としての役割をまっとうしていない」と言われた。

 

そのような状態が1年近く続き、私が受けている仕打ちはパワハラと言って間違いないだろうと思った。証拠もたくさんある。

 

社長とパワハラを調査する委員宛に経営陣のパワハラを調査するように、また経営陣が強弁する「私のパワハラ」についても同様に調査してよい、と正式な手順で依頼をした。

 

その翌週に解雇された。

 

「道義を持って生きること」『ラーゲリより愛を込めて』

 

今こそこの言葉を胸に、正義のために戦いたい。

 

正直に言うと、鋼のメンタルと言われた私でも結構堪えている。でも私以外に誰が行動できるというのだろう?

 

日々深呼吸をし、家族を大切にしながら、来たるべき決戦に向けて備えたいと思う。

 

 

道義を持って生きること inspired by『ラーゲリより愛を込めて』【その壱】

曾祖父には会ったことがない。でも子どもの頃に父の実家に帰省した際、仏壇にある写真を見ながら父からよく聞かされた。

 

「じいちゃんはロシア戦争で頬に銃弾を受けたが生還した。」

「弾丸は頬を貫通したらしい。」

「頬にケロイドの痕があった。」

 

すごいな、こわいなと思った。でも当時の私にとってロシア戦争は遠い話だった。今でも平和な世の中に生きていることは変わらないけど、ロシア戦争をわずかでも身近に意識したことは何回かある。

 

はじめは中学生の時、風邪で学校を休んだ日にたまたまつけたテレビでやっていた『二百三高地』。映画の脚色はあるのだろうが、きっとすさまじい戦いだったのだろうなと想像した。だって、当時ロシア軍は機関銃を持っていたのに日本軍はなかったのだから、火力の差は計り知れない。

 

次は大学生の時のトルコ旅行。トルコでは日本人だということで熱烈歓迎された。満員電車でも日本からの旅行者というだけで乗客らがワイワイ相談して席を工面してくれたり、夜行列車が満席の時は、これも乗客らが相談して席の頭上の荷物置き場を寝るスペースとして確保してくれた(トルコでは荷物置で寝るのはアリらしい)。

 

親切にしてくれたトルコの人たちに「なぜ日本が好きか?」と訊くと、「ロシアを負かしたから日本はスゴイ」という答えだった。どうやらトルコとロシアの間には厳しい歴史があるようだった。この時も昔の日本人とロシア戦争に思いを馳せた。

 

そして私は中年になり、息子に曾祖父の弾丸痕の話をするようになった。一緒にYoutubeで『二百三高地』も観た。その後しばらく、さだまさしの『防人の詩』が我が家のヒットソングになった。

 

翻って2023年、令和の世で私は何をしているのだろう。

 

平和は享受している。だが会社から解雇され、裁判の準備をすると言い訳して家でひっそりと暮らしている。これでいいのか?

 

そんな折、ロシア戦争ではないがロシアにまつわる映画があると知り、息子と一緒に映画館まで観に行った。 ~その弐につづく

 

 

 

ワンコの亡きがら

妻を駅に迎えに行った帰り道、車を走らせていると反対車線の車が徐行運転をして何かを大きく避けていた。

 

目を凝らして見ると茶色の塊が。

 

毛が見えた。

 

ああ、動物が車に跳ねられたのかな、かわいそうに、と思い通り過ぎた。

 

でも妻は引き返すことを要求した。すでに亡くなっていたとしても、さらにタイヤに踏まれるのを避けるべきだ、とのこと。

 

私はこれまでロードデスに合った動物を片付けたり、弔ったことはしたことはない。同情はするが、どうしたらいいというのだ?

 

妻は「プリーズ」と言って運転席に身を乗り出し、私の顔を見つめて懇願してやまない。

 

妻に押されて道を引き返した。

 

こないだは道に散らかった財布を拾いに道を引き返したが、今回は動物の亡きがらだ。

 

現地に戻ると、前に走る車は茶色の塊を大きく避けて通過して行った。

 

私たちは茶色の塊の前でハザードランプを出して停車した。ワンコか?いや、イノシシかもしれない。

 

そう妻と話し車を降りようとすると、丁度通行人のおじいさんが茶色の塊に近づいた。

 

おじいさんはじっと茶色の塊をのぞきこんだ後、足でその塊を道路脇に蹴って除けた!

 

「ええっ!」(妻と私)

 

「ふわり」(茶色の塊)

 

「え?」(私と妻)

 

動物の亡きがらではなく、茶色のフリースの落とし物でした!チャンチャン。

 

 

トラウマの観察、からのチェ・ゲバラ

突如解雇をされて3週間がたつ。胸は重く苦しく、頭の中は常に解雇のことでいっぱいだ。

 

昨日、少し活動できる気力が出てきたのでヨガ・スタジオへ。「今ここ」に集中することで少しでも鬱蒼とした気分から抜け出したかった。

 

休憩中、私がサイコロジストであることを知る姉さんヨギーニが、「これってトラウマかしら」と言う。

 

姉さんによると、道で交通事故を見ると涙が止まらない。テレビでさえ交通事故のニュースだと涙が出る。「別に同情している訳ではないのに、これってトラウマかしら?」

 

愕然 – ダ鳥獣戯画 (chojugiga.com)

 

私は姉さんの過去の出来事や記憶と交通事故が連関してるのかな、なーんて思いつつ、深入りはしなかった。

 

でも教科書通りの説明はして差し上げた。「過去の時間が止まっているのがトラウマというようですよ」「過去の出来事にもかかわらず、まるで今感じているかのような情動がよみがえる出来事をトラウマというんです」。

 

この会話は姉さんの「ふーん」という答えで終った。

 

帰り道、電車の中で胸のつかえが少し軽くなったのを感じながら、やはり延々と解雇のことを考えている自分に気づいた。

 

「3週間前とはいえ、解雇は『過去のこと』ではないか?これではトラウマではないか」

 

「仕事に縛られずに身軽な人生を手に入れたと考えられないか?」

 

「なぜ未来のことを考えない?」

 

・・・こうは思ったけど、いや、思い込もうとしたけど、解雇のことを考えるのは止められない。今回の件で、自分が思っていた以上に職業アイデンティティが深く刻み込まれていたのに気づいた。

 

駅で合流した妻とスーパーに寄った。レジで精算を待っている間、解雇のことを考えていたのを妻に指摘される始末だ。

 

急に真顔で考え込んだ表情になるらしい。

 

しかし、考えないようにするのはどだい無理。こうなったらとことん飽きるまで解雇のことを考えてやろうと思う。

 

喪の作業(モーニング・ワークス)は避けるものではなく、対象喪失を受入れるのに大切なステップだ。

 

「無感覚、抑うつ」の次のステージは「怒り」だ。

 

そう、今、怒りがふつふつと沸いてきている。

 

このエネルギーを労働組合の活動に昇華させよう。

 

昨晩チェ・ゲバラの映画を見て心を奮い立たせた。コタツに入っていても心はプチ革命家だ(笑)。

 

お財布拾いました!~名乗るほどの者ではありません~

年末の話です。お財布を拾いました!カード類と現金がずっしりのお財布です。

 

事の次第はこうです。

 

車で国道を走っていたら、道路の真ん中あたりにウエストポーチのような物が落ちて中身が散らばっていたのに気づきました。タバコとライターが散らばっているのが見えたので、「バイクに乗ったおっちゃんが落としたのかな」と思いました。。

 

私はただタイヤで踏まないようにしてその場を通り過ぎました。

 

ですが数分車を走らせた後、ふと思ったのです。「これは恩返しをしなきゃかな?」

 

金運の招き猫@常滑

 

というのも、この時からおよそひと月前、娘が買ったばかりのスマホを落としたのです。通り道を探したり、駅に問い合わせたりしましたが見つかりませんでした。頼りのGPS機能も電源が入っておらず、ダメでした。

 

ですが約1週間後、警察署から連絡が入りました!誰かが拾って届けてくれたのです。拾ってくれた方は名前を名乗ることもなかったそうです。

 

このことがありましたので、面倒臭がらずにウエストポーチを拾ってあげなきゃと思い、一旦は通り過ぎた現場に戻りました。ウエストポーチはまだ同じところに落ちたままでした。

 

現場の道路は車の往来が結構ありました。なので私は両手で合図を送って往来する車を止め、道路に散らかっている物を拾いました。

 

道路の脇でウエストポーチの中を見るとずっしりとした財布が!ぱっと中を見るとクレジットカード類、運転免許証が入っているのが見えました。「おっちゃん」ではなく「アニキ」でした。お札も何枚か。入念に中身を見るのも失礼だなと思い、一瞥するだけに留めました。

 

免許で持ち主の名前がわかることだし、交番に届ければすぐに落とし主に連絡されるだろう。

 

Googleで近くの交番を検索すると数分のところにありました。お巡りさんからどこで拾ったのか、また私の名前と連絡先を聞かれました。お巡りさんによると、落とし主が見つからなかった場合、拾った人にそれをもらえる権利があるとかないとか。

 

もちろん私の答えは「名乗るほどの者ではありません」(笑)。

 

こうやって善意の連鎖が広がったらいいな。

 

と思っていると今日の夕方!、駅の改札口で数人の外国人女子が駅員さんに何かを訴えている。英語で何か訴えているが駅員さんは理解できないようで困惑した様子でした。

 

私はちょこっと英語が話せるので、お助けしようかソワソワしていると、駅員さんが合点がいったように駅員室に走って戻り、何かを手に戻ってきました。すると外国人女子らは「キャー」という喜びの歓声!

 

どうやら外国人女子は電車か駅で落とし物をして、それが無事に見つかったようでした。

 

善意の連鎖は少しずつ広がっています(こじつけ)。

 

みなさんも善意の連鎖に参加していますか?

 

もし娘のスマホを拾ってくれた方がこの日記を読んでいたら、この場を借りて感謝申し上げます。

 

あと、ウエストポーチを落としたアニキがバイクで財布の受取りに行かなかったことを祈るばかりです。だって、財布と引き換えに無免許運転の罰金食らうから、喜んでいいのか悲しむのかわからんからです。

 

※本稿は、1/31の日記「落とした財布が届けられる国(その壱)」の前編です

精神的に疲弊すると

解雇されて2週間。

 

精神的に疲弊すると、普段気にならなかった妻の食べ物を「ゴクリ」と飲み込む音、髪をドライヤーで乾かした後に散らかった髪の毛までケチをつけたくなる。

 

妻と家族がいてこその自分だ。仕事はなくとも良い夫や良い父であれるはずだ。

 

心してかからねばならない。

 

いじけるのは独りだけですればよいではないか