アイデンティティー喪失
不思議な表情の招き猫@常滑
心理学生だった頃、アイデンティティについて学ぶあるワークを行った。アイデンティティとは自己同一性のことで、「私が私である」ことを特徴付けている状態や性質のことだ。
ワークは「これが自分!」というような、自分を表わす代表的な要素を5枚ほどの付せんに書き出し、グループ内で発表する内容で始まった。
20数年前の学生当時、何と書き出したか覚えていないので、代わりに2週間前までの自分について書くとしたらまあこんな感じになる。
1.二児の父親、「パパ」
2.妻を愛す夫
3.会社の「部長」、まじめで退屈だが誠実(でありたい)
4.スポーツが好き
5.スピリチュアルなことが結構好きな「異端の心理士」
ざっくりと言うと、さまざまな要素が「私」という人物を構成しており、その中でも「私を私らしくさせている」(と私が感じている)のがこれら5つの要素だ。
ここまでなら、ただの自己紹介とさして変わらない。
だがアイデンティティのワークでは、自分の前に貼り出した付せんの1枚が、ワークの進行役の人から突如ピリッと剥がされ奪われる。予告なしにだ。
私にはこれは結構ショックで、心がかなり動揺したのを覚えている。自分の中の大切な何かが欠けてしまった感じがした~ごく短い時間であったが。
つまり、付せんが私のアイデンティティの一部を表わしているという気分がそれまでのワークで出来上がっていると、付せんを失うことがあたかもアイデンティティの一部を喪失した感じになったのだ。
思わず「返してくれ」と手を伸ばした。
だからアイデンティティは、心の平穏と健康を保つために重要なんだと実感した。
ひるがえって現在、私は[「会社の部長」のアイデンティティを文字通り奪われた。心にぽっかりと大きな穴が空いてしまった。しかも、それは穴のくせに重く、苦しい。
運転免許証などのアイデンティティカードで私が私である証明だけなら難なくできるだろう。
しかしひとたび警察官に呼び止められ免許証の提示を求められたら、決まって職業を尋ねられるではないか。
国民健康保険に切り替えた新たな保険証でも、会社人のアイデンティティは失われている。
市役所での保険証の切り替えでは、言わなきゃいいのに「不当解雇をこれから訴える」と役所の人に説明した。言っている途中から後悔していたのに、赤の他人にすら言い訳をしたかったようだ。
もしスピード違反で警察に呼び止められてもただ「無職」と答え、余計なことを言わないようにしよう。
これが「アイデンティティの喪失」のリアルバージョンだと思い知っている。
今できることは残ったアイデンティティを大切にして、穴を塞ぐこと。そのためにはまず何よりも、子どもと妻を大切にしよう。子どもと妻がおり、彼らが健康なだけでも万々歳なのだから。
みなさんのアイデンティティは何ですか?