「私はこう戦った」の日記

子どもと外国人妻が心の支え!不当解雇を訴え復職するまでの道のり

道義を持って生きること inspired by 『ラーゲリより愛を込めて』【その弐】

私は昔から直球しか投げない。

 

私には取り柄がないので、とにかく真面目に生きなければと考え、真面目に生き、真面目に仕事に取り組んできたつもりだ。そうするうちに、いつしか直球しか投げられなくなったと言った方が正しい。

 

今回私がしたことは、正々堂々と、ルールに則った投げ方で、ミットのど真ん中に直球を投げたのだと思っている。

 

だが結果は「ボール」、ですらなく「一発退場」となった。

 

信じていた審判は公平ではなかった。ベンチの仲間はざわついたけども、声を上げると彼らも退場させられてしまう恐怖から何も言えなかった。

 

パワハラ防止法。これでみんなが働きやすくなればよいなと思った。

 

パワハラ防止法は令和4年4月から中小企業にも義務化がされた。それに先駆け私の会社でもハラスメント防止規程ができ、主に私の発案で、パワハラ・アンケートを全職員を対象に行った。

 

私は部長として回答内容(匿名)を確認できる立場にいたため、回答の中身を知ることができた。

 

経営陣を名指ししてパワハラを受けたという回答、まじめにアンケートに答えると仕事が続けられなくなるかもしれないので答えない、という回答などがあった。職員たちが経営陣に抱く恐怖と改善への諦めが伝わる内容だった。

 

私は経営陣から比較的近い立場にいたが、会社を良くするためと思い経営陣に進言した。

 

「私自身を含め、経営陣や経営陣に近い立場の者はパワハラリスクがあるので気をつけましょう」

 

この日から私は排除の対象としてロックオンされた。

 

何かにつけ揚げ足取りをされてしまう。例えば、私の部下への注意や指導がパワハラではないかと拡大解釈されることになった。その部下が私の注意や指導を問題にしていないにも関わらず。

 

 

経営陣からのそのような責めから逃れるのは至難の業だった。大体ダブルバインドの罠が巧妙に仕掛けられていた。例えば部下を注意するように仕向けられ、注意をすれば「パワハラ」だと言われ、注意をせず慎重な対応をすれば「部長としての役割をまっとうしていない」と言われた。

 

そのような状態が1年近く続き、私が受けている仕打ちはパワハラと言って間違いないだろうと思った。証拠もたくさんある。

 

社長とパワハラを調査する委員宛に経営陣のパワハラを調査するように、また経営陣が強弁する「私のパワハラ」についても同様に調査してよい、と正式な手順で依頼をした。

 

その翌週に解雇された。

 

「道義を持って生きること」『ラーゲリより愛を込めて』

 

今こそこの言葉を胸に、正義のために戦いたい。

 

正直に言うと、鋼のメンタルと言われた私でも結構堪えている。でも私以外に誰が行動できるというのだろう?

 

日々深呼吸をし、家族を大切にしながら、来たるべき決戦に向けて備えたいと思う。