「私はこう戦った」の日記

子どもと外国人妻が心の支え!不当解雇を訴え復職するまでの道のり

道義を持って生きること inspired by『ラーゲリより愛を込めて』【その壱】

曾祖父には会ったことがない。でも子どもの頃に父の実家に帰省した際、仏壇にある写真を見ながら父からよく聞かされた。

 

「じいちゃんはロシア戦争で頬に銃弾を受けたが生還した。」

「弾丸は頬を貫通したらしい。」

「頬にケロイドの痕があった。」

 

すごいな、こわいなと思った。でも当時の私にとってロシア戦争は遠い話だった。今でも平和な世の中に生きていることは変わらないけど、ロシア戦争をわずかでも身近に意識したことは何回かある。

 

はじめは中学生の時、風邪で学校を休んだ日にたまたまつけたテレビでやっていた『二百三高地』。映画の脚色はあるのだろうが、きっとすさまじい戦いだったのだろうなと想像した。だって、当時ロシア軍は機関銃を持っていたのに日本軍はなかったのだから、火力の差は計り知れない。

 

次は大学生の時のトルコ旅行。トルコでは日本人だということで熱烈歓迎された。満員電車でも日本からの旅行者というだけで乗客らがワイワイ相談して席を工面してくれたり、夜行列車が満席の時は、これも乗客らが相談して席の頭上の荷物置き場を寝るスペースとして確保してくれた(トルコでは荷物置で寝るのはアリらしい)。

 

親切にしてくれたトルコの人たちに「なぜ日本が好きか?」と訊くと、「ロシアを負かしたから日本はスゴイ」という答えだった。どうやらトルコとロシアの間には厳しい歴史があるようだった。この時も昔の日本人とロシア戦争に思いを馳せた。

 

そして私は中年になり、息子に曾祖父の弾丸痕の話をするようになった。一緒にYoutubeで『二百三高地』も観た。その後しばらく、さだまさしの『防人の詩』が我が家のヒットソングになった。

 

翻って2023年、令和の世で私は何をしているのだろう。

 

平和は享受している。だが会社から解雇され、裁判の準備をすると言い訳して家でひっそりと暮らしている。これでいいのか?

 

そんな折、ロシア戦争ではないがロシアにまつわる映画があると知り、息子と一緒に映画館まで観に行った。 ~その弐につづく